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竹取の翁を探して

2014.03.27(Thu)

『竹について』 Comment-Trackback-
去年の3月14日、
竹細工職人、廣島一夫さんが亡くなられた。

廣島さんにはご縁あって一度だけお会いする機会があった。
亡くなられて一年。
竹細工(竹のかごやざるを作ること)を通じて知り合った人たちと
廣島さんゆかりの地を訪ねた。

宮崎県の山奥、日之影町。
樅木尾という集落に廣島さんの生家はある。
モンギュウと読むこの集落は
山の尾根近くにあり
7軒の家がひっそりと佇んでいた。
(現在は5軒、お住まいだそうです)
電線やガードレールやアスファルトを取り除けば
私の大好きなネパールの村に来たようだった。

_DSC2218_convert_20140314140748.jpg



足の悪かった廣島少年は、学校に行けず、
生活の糧を得る農作業や山仕事もにも加われず、
家の周囲で罠をしかけ
動物を捕まえるのが楽しみだったそうだ。
麓の町に家を構えてからも、
ずっと生まれた集落、モンギュウを想っていた。
ここで廣島少年は何を思いながら15年過ごしたのか。。。


竹細工は足の悪い人が職業とする事が多かったり、
道具をかついで村々を回りながら、
仕事をもらった家の庭で仕事をする場合も多く、
社会的に低い、つまり差別的に見られていた。
廣島さんは、80年竹と向き合い、
職人として腕をひたすら磨きながら、
人々の生活必需品である籠や笊を作り続けた。
その間、第二次世界大戦を経験し、
高度経済成長とともに竹細工が
転がり落ちるように衰退していく姿も肌で感じ、
寂しさも味わったことだろう。
そんな中で
竹細工の技術を現代の名工に選出されるまでに昇華させたことは、
まさに偉業。

農具を作る竹細工を生活の糧として生きて行くのは、
今の日本ではもう不可能になっている、といって過言ではない。
自給的な暮らしには無くてはやっていけなかった籠や笊たちは、
もう使う人がほとんど居ない。
廣島さんは、竹細工職人として生きていくことができた
最後の世代。
ある意味では
日本の伝統的な暮らしの集大成の人物だ。



美しく仕上がったように見えるものでも、
自分が納得いかなければほどいで編み直す。
お金の事を考えると
全く採算の合わない事でも関係なく取り組む姿勢。

その原動力になっている思いとは何か。
廣島さんは、自分の作った道具を使って
人々が日々の糧を得ていることを
誇りに思っていたのだろうと思う。
同時に、必要不可欠なものを作っている職人が
差別的に扱われるという世の中の矛盾に
時にはやり切れない思いも抱いたのではないだろうか。

人々の生活を支えている人こそ、
尊敬される世の中であって欲しい。
今回の旅では、そんな廣島さんの願いを感じた。
(注:ご本人が直接おっしゃったことではありません)
自分が受け取ったメッセージとして、
大切にしていきたい。

_DSC2248_convert_20140314160434.jpg

廣島さんの作った道具。
現在、日之影で展示中のものだ。
右奥のものはうっすら緑が残っている
手前と一番奥のものも、元は緑だった。
使いこまれた竹の見事さは
写真では伝えにくい。
ぜひ日之影に足を運んでいただきたいと思う。
使い込まれたものはほとんどないが、
町の商工会にも展示されていて、
お願いすれば見せてくれる。


『日之影で使われている籠たち  廣島さんのが遺したもの』
3月31日まで
午前11時-午後7時
日之影町・七折の「カフェ・ルジェトア」
木曜定休
0982-88-1775




廣島さんの魅力は竹細工の技術だけではない。
話し好きの廣島さんは、周囲の人をして
『あの人の話は高度だから』と言わしめる
人を笑わせるのが好きで、
頭の切れる賢い人だったそうだ。
今回お会いできた親戚の方々も皆そうおっしゃった。
宮崎県の山奥に居ながらにして、
世の中の事、自分の事を客観的に考え、
自分の進む道を決め、ユーモアを育む。
心は自由だということをその生き様で証明したのだ。

モンギュウでお会いした方々は
底抜けに明るく、そばに居る人への思いやりに満ちていた。
廣島さんのお人柄は元々持っているものも大きいと思うが、
周囲にいる人々によって育まれたものでもあったのだ。

人々が協力して暮らしを支え合っていた日本の暮らし。
今は情報の伝達や物流の激しさ、
それからお金を介したシステムのために、
人と人の間に流れる時間や気持ちも様変わりしてしまった。
モンギュウには
人と人のつながりがまだ残っている。
日本そのものを感じて目頭が熱くなった。




懐古主義と言われても仕方ないけれど、
日本の風土に合う暮らしが
どんどん失われて行くのを感じると、
本当に悲しい気持ちになってしまう。
今、自分のいる場所でできることをやりたいと思う。
けして正義感ではない。
当たり前のことを当たり前にやるだけ。
なるべく自然に逆らわない方が
自分の周囲に流れる時間が心地よいことを知ったから。
そして心は自由でありたいという願い。
それだけだと思う。



竹細工から話が離れてしまったが、
まさに竹取の翁であった廣島一夫さんのことを知れば知るほど
自分の生き方のことを考えさせられる。



今回は自分が感じた事を書いたので
主観が強いことは自覚している。
整理のためにも書かせて頂いた。
廣島さんのことを一冊の本にまとめようとしている人がいる。
だいぶ先の話かもしれないが、
出版される時にはまたお知らせしたいと思う。






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竹という植物に向き合う。

2012.08.08(Wed)

『竹について』 Comment-Trackback-
先日お知らせした、滋賀の近江八幡で行われている竹籠の展示

「暮らしのなかで息づく竹の道具たち
 現代の名工 廣島一夫の手仕事」展

5日、7日と私も会場に滞在しました。

九州から実演をしに訪れた職人さんの作業を見ることが出来る貴重な機会。
普段から竹籠を作っている人達も、遠い所からたくさんたくさん訪れていました。

青物と呼ばれる、生活用具としての竹籠づくりは、
ほとんどの場合、山奥の小さな村で、ひっそりと行われているようです。
なので、職人さんが作っているところを見るのは、
私自身も最初で最後かもしれない、というつもりで、じっくり見てきました。

とても繊細な作業の連続なので、
実演した二人の職人さんは、
人に見られながらだと普段通りの動きはなかなか難しい、
とおっしゃっていました。


この展示は12日まで行われています。

一見の価値あり、ぜひ町家づくりの町並みが残る近江八幡へお越し下さい。

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形を追う

2012.04.21(Sat)

『竹について』 Comment-Trackback-
『どんなものにもデザインした人がいる。』
美大を出て工業デザイナーをしている叔父が言った。

ちょっとしたお菓子のパッケージや駅の看板、
電話や封筒や文房具やなにやらかにやら、みんなデザインした人がいる!
そう考えるとものの見え方がまたひと味違ってくる。

人にはある一定の気持ちのよいバランスというものがありそうだけど、
やっぱり最後は人それぞれ心地よいデザイン(色も含めて)は違うものだとつくづく思う。
素敵だなと思うモノもあれば、
え~っって思うモノもある。
でもその、え~っていうモノも誰かがいいなって思ってデザインしたものだから、
それでいいのだ。

では、私のカトラリーは。。。

以前に、フォークのデザインについて少しだけ書いた。
あの時からまだあまり進歩していない。

去年はとにかく手を動かした一年だった。
けして売れているといいたい訳ではなく(!)
発表する機会をそれだけいただいたからだと思っている。
農繁期の一時期をのぞいては、作り続けていた。
そうすると、手の動きが早くなったり、無駄なことをしなくなったり、
効率が少しでもよくなるように考えたりするので、
当然どんどん作れる様になる。

けれど、作り続けた末にふと思う。
デザインってこれでいいのかと。
デザインっていうとたいそうなことをしている様で照れくさい。
形、という方がしっくりいくかもしれない。

食べ物をすくいやすい形とは。
握りやすい形とは。
心地よい形とは。
美しい形とは。

人の暮らしが関わる以上は、人という存在抜きにしてその形は考えられない。
どんな風にそのカトラリーが人の暮らしに寄り添うことができるのか。

今年に入ってからそんなことをずっと考えていた。
私にはデザインする能力があるとはとても思えないけれど、
形を追い続けることはできる。
そんな風に思う。

こんなことを色々な人が言葉にしているのをこれまで何となく見聞きしながらも、
まだ考える余裕も無かった。
そう思い始めた頃、吉祥寺outboundの店主、小林和人さんの著書『あたらしい日用品』
に出会った。

そのものの持つ役割や形、優れたデザインについて、
色々な角度から書かれていたのでつぼにはまり、
仕事の合間に工房で2回も熟読してしまった。
鋭い視点の合間に、微笑ましいお子さんのエピソードがまじったり、
小林さんのこだわりにユーモアを感じる。


『心地よい形を決めるのは使う人だ。』
ということにちょっとこだわっている。
これまで身をもって体験してきたから、これはゆるがないと思う。
自分が失敗したかな?と思うカトラリーでも、
手に取ってくださった方にとっては使いやすいということが何回もあった。
だから、一本ずつの形を追う、型のないカトラリー作りをこれからもずっとしていきたい。


来月のまつもとでは、そんなことを改めてかみしめ作ったものを並べたいと思う。

それから、今まできちんと取り組んでこなかったことにも挑戦してみたい。

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竹かんむりに旬

2011.04.22(Fri)

『竹について』 Comment-Trackback-
竹かんむりに旬と書いて

たけのこです。
旬にしか食べられないものの代表格なんですね、きっと。

今日は今年初めて筍を食べました。
いつもカトラリーの材料を切らせて頂いている竹林。
大きな筍がにょきにょき出ていました。

竹かごを作る人の中には
『竹に食べさせてもらっているから』
という理由で
筍を食べない人もいると聞いた事があります。

でもやっぱり筍、美味しいです。

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手仕事

2011.04.13(Wed)

『竹について』 Comment-Trackback-
冬の間だけ通っている竹籠作づくりも
今週で終わりになります。

広い部屋で
いつも3人から5人くらいで作業をしているのですが、
それぞれが集中して竹と向かい合う時間が必ずあります。
その時の空気がとても好きです。

私も目の前の竹と自分の手の動きだけに五感の全てが集まって
他の事を感じなくなります。
時間の流れがよくわからなくなります。
もしかしたら瞑想ってこういう感じなのかもしれません。

竹籠づくりで電動モーターやエンジンを使うことはないので、
とてもしずかです。
手と刃物と竹の出す音だけが響きます。

こうして自分達で切って来た竹を
全身全霊で籠にしていく。。。
作業の進みはゆっくりですが、
自分の手でつくりあげる歓びが確かにそこにあります。

手仕事は平和だなと思います。

私の手は男の人の様になってきましたが、
それには変えられないほどの、
あたたかい時間を過ごさせてもらっています。

また12月になったら竹籠を作ります。

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▼ プロフィール

okisaya19771123

Author:okisaya19771123
山梨の山村に住み、田畑に取組みながら竹のカトラリーを作っています。
※只今育児中につき、制作はお休みしています。

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