随分久しぶりの投稿になります。
もうのぞいてくれる人もいないかな。
去年、吉祥寺のアウトバウンドさんで展示をしていただいてから、一年以上たった今、
ほとんど竹に触れない日々が続いています。
田畑に精力をかけてはいましたが、
秋から春にかけては竹の仕事を充実させるつもりでいました。
けれども、思いもしなかった出来事が起きて、
描いていた近い未来のことが実現できなくなってしまい、
その現実と対峙しているうちに春になりました。
楽しく小学校生活をスタートした息子は、
学校の、きちんとした、そして教師が決めたことをひたすらにやり続ける生活が嫌になり、
秋の運動会の練習で気持ちが切れてしまい、徐々に学校に行かなくなりました。
学校に行かない
と言っても、ただ行かないだけではありません。
まだ6歳で、母を必要とする度合いは赤ちゃんの時から強く、
学校でのストレスで荒れた気持ちをぶつけてきます。
毎日朝にならないと今日はどうするのか決められず、
仕事場に入っても2分おきに、お母さん、と話しかけられては
作る気持ちがまとまっていかず、形のことも集中して考えられず、
ストレスは溜まる一方。
諦めて仕事の手を止めて、
息子と過ごしながら、なんとか畑の冬仕舞いを済ませました。
その合間に学校の教師達と息子のことについて話し合いをしに行ったり、
相談できる窓口に行って話を聞いてもらい、
夫と毎晩の様に話し合って過ごしました。
個人的な感覚ですが、
学校の教師が、子どものために働いている、という感覚があるにもかかわらず、
息子の気持ち、息子にとって何が1番良いのか、
大人にできる最善の道は何か、
考える人間では無い
ということを、嫌というほど感じ、
悔しさで体調を崩しました。
毎日泣きました。
日本語で説明しているのに日本語が通じないと思うのは
役所に行って思ったことがあったと記憶しています。
理不尽が罷り通る。
しかも教育者の前で。
これまでは理不尽な出来事があれば、そこから離れるという選択肢がありました。
けれど、息子のこととなると、そうはいきません。
自分のことでは無いけれど、まだ幼い6歳の子供は親がよく話を聴いて気持ちを理解し、
関係する周囲の大人に説明するため、代弁しなければなりません。
つい自分の考えで動きたくなったり、息子にイライラしてしまったり、
それではいけないと自制したり人に聞いてもらったり。
これは言葉では言えない大変なストレスです。
今も続いているので、現在形です。
どこにもぶつけられない怒りを抱えながら、
さらにこの頃定期的に、
頭ごなしに私の話を聞きもしないで色々言われることが重なり、
(内容は息子のこととだけでなく)
随分と沈みがちです。
家族で過ごす時間だけがホッとさせてくれて、
その存在を強く大切にしたいと思う時期が長くありました。
人と自分の違いは大したことない。
人の話はよくよく心を向けて聞こう。
自分の価値観を人に押し付けても誰も幸せにはならない。
ただ聞くことだけが大切だ。それ以上のことは誰も求めていない。
人の信念はそう簡単に変わらない。
理解できなくとも、うなづくだけでいいんだと思う。
自分の答えは自分でしか分からないから。
もし責められたり傷つけられる様なことを言われたら、
その行為は不当だと主張していいと思う。
相手に聞く気があれば聞くだろうし、
聞く気がなければ伝わらない。
その時は仕方ないと諦めよう。
以上、制作できない言い訳でした!!
田畑だけは淡々とお世話し続けています。
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今年は友人の一家が一緒に作業してくれました。
まだ幼い子供たちがいるとできないので、
例年平日に夫と2人で済ませていました。
初めて家族が揃っての稲刈りで
気持ちも満たされた1日でした。
今年は雑草を生やしてしまったこともあったり
お水の管理に苦戦したこともあるのか
収穫量は今ひとつです。
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以前にも書いた気がしますが、
この時期になるとくるみ拾いをします。
空から落ちてくるタダの食べ物!!
子供達を送り届ける時に、車にバケツを積んで、
帰宅途中に拾うのが定番です。

その後、しっかり周りを腐らせ黒くしたら
流水で洗って干すとこのように。

金槌で割って、中身を出すと、食材になります。
必ず細いカケラが殻の中に残るので、
それを竹で作った楊枝でほじくり出し、
そのカスを集めてカトラリーの塗装に使います。
この作業がとにかく時間を要します。
あまり拾いすぎると食べきれないまま翌年を迎えることもあるので
今年はどのくらい拾ったか何となく把握するつもり。
数日前に未舗装の林道で拾っていたら、
車で通りかかったおじさん二人組に声をかけられました。
『くるみかい?正月の餅に入れたらうまいんだよな』
『おはぎの付け粉にしても美味しいんですよ』
『山のくるみは平地と違って、脂が多くてうまいんだよ』
『私、毎年ここに取りに来ていて』
『ははは、そうか、頑張ってね』
なんていう会話で和みます。
山のくるみは味が少し違う。
そして、売っているくるみも、
パッケージされた状態だと気付かないわけですが、
本当は簡単に手に入るものではないということが
よくわかります。
この頃は子供達、帰宅したらまず、
お父さんが割って出してくれたくるみを食べています。
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実りの秋。
きびの収穫で、本格的に秋の収穫作業が始まりました。

よく晴れた日に1人で黙々と切って束ね、干す。
至福の時間です。

あわ。
今年はしっかり熟すのを待つことができて、
綺麗なオレンジ色になりました。

年末にはあわ餅をつこう。

大豆が実をつけ始めました。
毎年、本当に収穫できるのか、心配しながら毎日見ていた大豆。
この土地で種をつなぎ始めて12回目の秋。
試行錯誤がやっと報われてきて、
いつもより安心して見守った今年の夏でした。
枝豆が食べられるのは来月に入ってから。
年が明けてから仕込む味噌や醤油の材料になります。

田んぼの稲はやや不調ですが、
今年も無事に収穫までこぎつけそうです。

息子が一年生になり初めての夏休みが終わり、ほっとしたのも束の間、
畑が放って置かれていたので修復するのに時間がかかり、
秋の種まきや植え付けに追われています。
年々体力が落ちてしまっているのが気になる一方で、
自給に向けてまっしぐら、気持ちで体が動いています。
もう何ヶ月も仕事場が動かない状態が続いていて、
お待ちいただいているみなさんのことを思い出す毎日。
これでいいのか?と自問しつつ、
家族の健康と自分の作業の成果がこの素晴らしい風景の一部になっている幸福感と
この土地の暮らしを繋げていきたいという衝動とに動かされている私です。
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子供達との時間に加えて田んぼや畑の草取り。
仕事の時間が全く取れない日が続く。
追われる感覚、内心は焦る、けれど、
今しかできないことに時間をかけるべきだと自分の中の自分が言うので、
それに従う。

夫に子供達を託して用事を済ませようとしても、
私の後には行列ができ・・・・。
小さな人たちの成長が止まることはない。
常にいい母親でいることなんてできないけど、
毎日が貴重な1日。